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「野菜の種、いまむかし」

第二回「トマトの話」

掲載誌『野菜だより』2008/秋号/P94,95
2008.8.16/学習研究社刊 \920.(税込)

 トマトは、ミュータント(突然変異)です。
 南米原産のトマトの原種は、すべて小さなミニトマトでした。現在の大玉トマトは、遺伝子を調べると、スペインがアステカ王国を征服して新大陸の産物をヨーロッパに運んだ十六世紀に、トマトの種を包むゼリー状の部屋数が増え、千倍にも大きくなる突然変異が起きて生まれたのだそうです。
 原種のミニトマトは、中南米時代から食用でしたが、渡来したヨーロッパでは、十八世紀まで観賞用植物として栽培されていました。観賞用だったからこそ、大きな実をつける突然変異の一株が大切に増やされて、地域ごとに分化し、今日のような世界で最も生産量の多い野菜になったのかもしれません。
 ヨーロッパでトマトを最初に食べたのはイタリア人で、やがて地中海沿岸に広まり、パリで食べられるようになったのは、フランス革命の時、南仏マルセーユの義勇兵が、「どうしてパリにはトマトがないんだ。トマトを食わせろ」と叫んだからだそうです。こうして断頭台の血の色のトマトが、フランス料理に加わるようになりました。

 十九世紀、全世界に広まった新野菜のトマトは、煮込み料理のソースやケチャップなどの調味料として、欧米人の間に定着します。明治になって日本にもトマトが入りましたが、そのほとんどが調理用の真っ赤なトマトで、醤油という万能調味料を持つ日本人には、その味に長い間なじめませんでした。
 現在94才の父が、初めてトマトを食べたのが、10才の頃と言いますから、たぶん関東大震災の後でしょう。「なんとも変な味だったから砂糖をつけて食べた」んだそうです。
 それから十数年後の昭和10年。うちの仕入帳には、『ポンデローザ』や『マグローブ』、という輸入トマトの種を五合(約一リットル)ずつ、『ゴールデンポンデローザ』を一合(約二デシリットル)仕入れた記録が残っていますから、トマトは大正末から昭和初期に、少しずつ日本人の間に定着していったのでしょう。
『ポンデローザ』はこの後もずっと仕入れが続いていますが、『マグローブ』は翌年には『チョークスアーリー』という品種に変わり、昭和15年には『ウエンゾール』と『早生世界一』に変わっています。お客様が満足する品種を探して四苦八苦している祖父(初代店主)の姿が見えるようです。
『ポンデローザ』と『世界一』が、日本人の好みに合ったため、以後日本は、世界でも珍しい桃色トマトばかりの国になります。そしてこの日本の桃色トマトの味をまったく変えてしまったのが、F1品種の『桃太郎』でした。
『桃太郎』以前の生食用トマトは、ほのかに色付いて果実全体がまだ緑色のうちに収穫され、箱に詰められて市場に出荷されていました。果実が柔らかいため、熟すと輸送の途中で傷んでしまうからです。
『桃太郎』は、均一に赤く色付いてから出荷しても傷まないよう、果実を硬く改良した完熟出荷用のトマトでした。
 F1とは、父親(花粉親)と母親(実の中に種を付ける種子親)が異系統で、毎年同じ両親をかけ合わせた新しい種を買わないと同じ品種が栽培できない一代雑種のことです。
 初代『桃太郎』の場合は、父親として、アメリカの甘いミニトマトに耐病性が強い『強力米寿』を3回かけたものを使い(1回かけただけでは古い遺伝子のミニトマトが優性で出てしまうため、その子や孫に何度も父親の『強力米寿』をかけ続けることで劣性遺伝子の蓄積を増やし、甘くて丈夫な大玉の桃色トマトに固定したのでしょう。ちなみにこの育種方法を「戻し交配」といいます)、母親には、アメリカ生れの『フロリダMH-1』という硬いトマトに、味の良いハウストマトである『愛知ファースト』をかけ合わせたものを使ったそうです。
 色鮮やかで長距離輸送に耐え、店頭の日保ちも良く、しかもミニトマト譲りの甘さと、ファーストトマトの美味しさを兼ね備えた初代『桃太郎』は、またたくまに日本の市場に受け入れられました。ただ、原種に近いミニトマトが持っていた欠点でしょうか、「肥料が効きすぎると脇芽がどんどん伸びて暴れ、狭いハウスでは栽培しにくい」という声が、生産農家から聞かれるようになりました。そこでつくられたのが『ハウス桃太郎』でした。さらに「ハウスで連作していると病気が出る。病気に強い系統が欲しい」という要望に応えて、青枯病に強い『桃太郎T53』や委ちょう病に強い『桃太郎エイト』がつくられたのです。父親と母親を取り替えたり、新たに見つかった耐病性品種を取り入れたりすることで、組み合わせは無限に可能です。
 こうして桃太郎ファミリーは、日本の出荷用トマトの八割以上を占めるようになり、後を追う種苗会社も、競ってハウス用F1に参入したため、とうとう日本の家庭菜園でも雨よけをしないと栽培できないトマトばかりになってしまいました。

 日本中のトマトが桃太郎ファミリーとその追随者で占拠された反動として、「味がない」「昔のトマトらしいトマトが欲しい」という声が出てきたのが最近の傾向で、ハウス用では、より多くの耐病性をつけた『強力米寿二号』や、露地用では固定種の『ポンデローザ』や『世界一』が、再び脚光を浴びています。
 今、うちで最も人気のあるトマトの種は、美味しかった初代『桃太郎』から岐阜の奥田春男さんが雨よけ栽培で自家採種し、5年以上かけて『桃太郎』以上に甘いトマトに固定した『アロイトマト』です。2001年に販売開始した『アロイトマト』は、長崎の岩崎政利さんに渡って、3年がかりで有機農研の岩崎アロイになったり、無肥料栽培の関野幸生さんに渡って関野アロイになったりして、それぞれの土地に合った露地用の貴重な完熟トマトとして、年々美味しく、逞しく成長を続けています。[2008/7/1記]


追記
掲載誌『野菜だより』のバックナンバーが入手できないという声をいただいたので、ここに再録します。
現在書店で入手できる号は掲載しませんので、お近くの書店にてお求めください。
(2009.3.25)

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