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日本プレスセンタービル9Fの「日本記者クラブ」で、農政ジャーナリストの会/主催で行われた講演会の野口 勲の講演内容を掲載します。
「種は守れるか」と題した4名の講義の全貌は、同会発行の「日本農業の動き/207号」にまとめられています。 (B6判/150P/1,200円+税)
前文で「F1品種誕生をめぐる歴史、育成の"舞台裏"の語りは出色」と紹介された野口以外の、他のお三方のお話は、上記の本でどうぞ。

種子が危ない! 固定種・在来種を守るには
                  野口のタネ/野口種苗研究所/代表 野口 勲

 初代の祖父が亡くなって、父が種屋を継いだのが昭和24(1949)年頃、私はまだ小学校に上がる前でした。その時代は、固定種の種を「一粒万倍」と言って売っていました。報恩経というお経に、良いことをすると、種がお米の種籾のように一万倍になって還って来る、という教えがあると言います。多収米でも一粒で7,000〜8,000粒くらいだそうですが、一粒の健康な種があれば一年後には約一万粒になり、それを蒔けば一億粒に、そうして一兆一京と無限の可能性、無限の命を秘めていたのが昔の種だったのです。
 それが今は、毎年種を買わなくてはいけない、交配種=F1=といわれる種の時代になったのです。
 私の店では、在来種・固定種と言われる、昔から採り続けられてきた種だけを扱っています。サカタさんやタキイさんといった大きな種屋の話を聞く機会は多いとは思いますが、こんな小さな種屋の話もたまには聞いていただきたいと思います。  うちは固定種専門の種屋としてネット販売をしていますが、たまに取材の方が来られて「固定種って何ですか」と聞かれると、昔からつくり続けられてできた種で、「できた作物から種を採ると同じ作物ができる種です」と説明します。そうすると、「当たり前じゃないか」と言われることが多かったんです。それが当たり前でなくなったのが、F1というものができてからです。
 F1はfirst filial generationと言い、いわゆるハイブリッドです。ハイブリッドの語源はラテン語のイノブタで、要するに交雑種のことです。正確には一代雑種ですが、種苗業界では交配種と呼んでいます。F1の利点の第一は揃いが良いということです。メンデルの法則では、雑種の一代目は両親の遺伝子の優性形質だけが出て、劣性形質は隠れてしまいます。優性だけが出てきますので、種屋はよくF1について、両親の優れたところだけが出ると宣伝します。  しかし、「優性」とは決して優れているという意味ではなくて、「優先的に」子供に現れる形質という意味です。そこで日本遺伝学会では、「優性・劣性」ではなく「顕性・潜性」という言葉を使うことにしました。例えば、縞のあるスイカと縞のないスイカを掛け合わせると縞のあるスイカだけが現れるという現象が出てきます。したがってF1の時代になると、日本中が縞のあるスイカだらけになってしまったわけです。
 雑種のもう一つの特徴は雑種強勢Heterosisです。これは、メンデル以前、ダーウィンの時代から知られてきていたことで、雑種になると生育が早くなったり、生産量が増えることが知られていました。例えば、「うち」で売っている昔のホウレンソウは、九月に種を蒔いて一二月に収穫するというように四か月くらいかけて栽培していますが、F1では夏場のハウスでは一か月で育つようなものが出ていて、農家にとっても効率が良いとされています。同時に、揃いが良いこともあって、流通業者にとっても効率がいいということになります。雑種一代目だけがそうした性質が現れるので、その種を採っても、潜性の形質が出現してくるので、ばらばらなものができてしまい、かえって効率は悪く、結局、毎年種を買わなければなりません。

■固定種の利点。味の在来種専門でいこう■

 一方、固定種の第一の利点は、おいしいから栽培し続けられてきたので、本来の野菜の味を持っているということです。私が固定種専門の種屋を続けようとしたきっかけは、原種コンクールでした。日本中の種屋が、戦争中に散逸してしまっていた原種を集めて、同じ畑で同じ栽培方法でつくって、本来の形質を表彰する取り組みです。そうして、優秀な種が普及されていくことを目指していましたが、昭和40(1965)年代にF1が増えてきて、日本中がF1になってしまいました。  「うち」では、みやま小かぶという在来種をずっと採ってきましたが、年間2,000リットルくらいの種を採っても、日本中の種屋に売れていました。サカタさんやタキイさんからは100リットル単位で注文がきていました。F1の時代になると、そういうわけにはいきません。「うち」で、みやま小かぶをコンクールに最後に出品したときには、もうF1品種には揃いでかないませんでした。固定種で母本選抜をきちんとしていますので形は揃ってはいるものの、大きさはまちまちになってしまいます。プロの農家にとっては、早く畑を回転したいので、早く、一斉に育つものが欲しい。これではとても太刀打ちできないと感じました。
 そこでこんなことがありました。コンクールで審査しているときは、どの種がどこに蒔かれているかは隠されているのですが、審査が終わるとそれは公表されます。そうすると、会場にいる種の専門家たちは、いい成績をおさめたF1のカブには一切手を触れずに、うちのカブを抜いて持ち帰っていきます。おいしいのがわかっているから、皆持ち帰っていくのだそうです。彼らは「F1のカブなんてまずくて食えたものじゃないからな」と言いました。
 このように、食べるものの価値が、味ではなく見栄えで判断されるようになってしまったのです。当時、私はまだ二〇歳代でしたが、種屋を継いだら、F1はやめて固定種・在来種専門でいこうと思いました。
 カブやダイコンなどアブラナ科野菜の原産地は地中海沿岸の砂漠地帯で、そこで生まれた植物は雨の少ない冬の間に枯れてしまうと、春になって花を咲かせて子孫を残すことができないので、根部に養分を蓄えます。地中海にローマ帝国ができると、キリスト教のカトリックが全ヨーロッパに普及し、土の中は悪魔の世界ととらえられていたため、そこに育つダイコンなどは奴隷や家畜が食べるものとして蔑まれていました。そのようなカブやダイコンは中国を経て、奈良時代頃に日本に入ってきます。カブやダイコンなど日本の伝統野菜といわれるものは、多くが秋蒔きの作物ですが、それを干して漬物にしておきます。春蒔きの作物である麦以外の穀物が飢饉で十分に穫れなかったとき、そうした漬物が飢えを救うということから、推古朝の時代から国中にお触れを出して、カブやダイコン栽培が推奨されています。そうして、日本でカブやダイコンが広くつくられるようになりました。

   

 ■植物は種を付けるために生きている■

 F1で雑種強勢がより有効なのは、出自がかけ離れたもの同士を掛け合わせた場合です。大阪の天王寺カブと東京の金町小カブを掛け合わせても、それほど雑種強勢は働かないので、日本のカブのF1をつくるときには、片親にはだいたい「うち」の小カブが選ばれました。タキイさんから毎年100リットル以上の注文がきていたのが20ミリリットルに減ると、これはF1の親にするためだなとわかったものです。そのように固定種が売れない時代になったわけです。片親はうちのカブですが、もう片方の親に選ばれたのはヨーロッパの家畜用のカブでした。固定種の小カブだと、収穫が遅れるとスジばって食べられなくなります。しかしF1のカブは成長を続けます。市場の値段が安いときは少し収穫を遅くして中カブにしてから出荷する、あるいは大カブまで育てれば、いつでもある程度の収入になります。
 しかし、F1は家畜用のカブを掛け合わせたものですから、形は良いのですが、皮が厚くて人間の歯ではかみ切れないほどです。日本料理の大家が言うには、カブ料理のコツの第一は、皮をできるだけ厚く剥くことだと言っているほどになってしまったのです。
 そのように、本来の味は、人間の食べるものとしては固定種のほうがふさわしいと思っています。
また、自家採種ができることも、固定種の良いところです。植物は根が張っているので歩けませんから、土地に張った根や表皮の細胞がその風土を判断します。そうして、その土地で育ったものはその土地で花を咲かせて、その土地で種を結び、人間や動物がその種を運ばない限りその種はその土地に落ちて、またその土地で育ちます。
 従って、その土地で育ったものから種を採ると、どんどんその土地に定着していきます。そうした馴化の良い例として、1800年代に中央ヨーロッパで育った小麦をノルウェーのオスロで蒔いたときの研究があります。それによると、二年目から中央ヨーロッパより早く花が咲きはじめ、穂が出て、十日早く収穫できるようになりました。その種を再びオスロで蒔いたら、三年目には中央ヨーロッパの時より一か月早く収穫できるようになったと言います。
 要するに寒い所では、早く実を付けないと子孫を残せないので、少しでも子孫を残そうと早く実を付けるわけです。植物は食べられるために生きているわけではなくて、種を付けるために生きているのですから、その土地で育った植物は、その土地で育つような子供をちゃんとつくってくれます。だから、その土地で種を採ると、その土地の野菜にどんどん変わっていくのです。
 日本中にいろいろなカブがあって、その土地の伝統料理に合ったものとしてつくられてきたのです。ところが今は、ダイコンはみんな青首ダイコンになってしまいましたし、それも毎年、海外採種によって採れた種を輸入するようになっています。  F1の宣伝にはよく耐病性がうたわれますが、その耐病性は固定種から持ってくる形質です。日本のタマネギがF1になったのは、戦後、アメリカから優性不稔のタマネギが入ってきてからです。それに札幌黄という在来種のタマネギを掛け合わせたものが、最初はひじょうに収量が多く、形も良くて喜ばれました。しかし、慣行農法で、つまり殺菌剤をたくさんかけてつくっているものですから、そのうち、その土地の病原菌がその殺菌剤に対して抵抗性を持ってきます。従って六〜七年つくっていると、強くなった病原菌のために、同じF1はつくれなくなってしまいます。
 そこで、もっと病気に強い品種をつくるために、まだ北海道内に残っていた札幌黄の種を蒔いてみると、強くなった病原菌にも耐えるものが見つかりました。病気が強くなると、その病気に耐性をもつ固定種も生まれてくるのです。それを掛け合わせて新しい耐病性F1品種がつくられました。また六〜七年経てば同じように強い病原菌が出てきますので、また強い固定種を探して掛け合わせ、新しいF1をつくっていくことになります。まさにイタチごっこです。ただ、耐病性をつければつけるほど、野菜は不味くなります。こうして、日本中の野菜がまずくなってきたのが、今の時代です。

 

 ■各地で特産野菜のF1がつくられる■

 F1雑種づくりのポイントは、除雄です。植物のなかには自家受粉性の植物と他家受粉性の植物があり、自分の花粉で種を付けるものが前者です。その代表はナス科、イネ科、キク科の作物です。そのように自分で種を付けてしまう植物では雑種はつくりにくいのです。雑種をつくるには自分の花粉が邪魔になるので、トマトなどは小さいつぼみのときにピンセットで雄蕊を一本残らず抜いてしまいます。これが除雄という作業です。そうしてから、遠く離れた別系統の花粉を集めて人間の指でつけてやります。雄蕊を抜いたり、他の花から花粉を持ってきてつけてやるのに手間がかかるのですが、手間をかけてそれをやれば、できたトマトのなかにF1の種が500粒くらい採れます。固定種のトマトの種は100粒で300円程度で売っていますが、そうしたF1の種を一粒20円程度で売っても十分もとはとれるわけです。
 世界で最初のF1野菜は、埼玉県の農業試験場で柿崎博士がナスでつくりました。当時、東京市場で人気のあった埼玉の在来種である真黒茄子と新潟の巾着茄子を掛け合わせて、埼交茄子をつくり出しました。この成功が注目され、各地で特産野菜のF1がつくられるようになっていきます。大阪ではキュウリが、奈良ではスイカのF1がつくられます。スイカはウリ科ですから、雄花と雌花がありますが、雄花を取り除いて、別系統の雄花を交配します。旭大和という非常においしいスイカは今でもF1の母親として使われるものですが、このスイカには縞がありません。この縞がないスイカに、収量は非常に高いのですがあまりおいしくはないアメリカの縞のあるスイカの花粉をつけてやります。小玉スイカに大玉スイカの花粉をつけても、小玉スイカしかできませんし、大玉スイカに小玉スイカの花粉をつけても大玉スイカしかできません。
 要するに、母親の性質がそのまま果実に現れるわけで、縞のないスイカに縞のあるスイカの花粉をつけても、できるスイカは縞のないスイカです。でも、できた縞のないスイカの種を採って蒔くと、生まれてくるのはすべて縞のあるスイカです。この場合、縞のある表皮のほうが顕性なので、日本中のスイカがF1になって、縞のあるスイカだけになったわけです。このようにF1の普及で野菜の形状まで変わってしまいました。
 日本には独特のF1の作り方が生まれます。欧米では菜の花のことをrape flowersと言っています。欧米では食べ物ではなく雑草なのでひどい名前をつけたものです。小麦畑の雑草でしかなかったのが菜の花でした。日本の秋野菜にはアブラナ科が多いので、このF1の作り方が必要になりました。そうして発見されたのが、自家不和合性の利用です。アブラナ科野菜はナス科やイネ科と異なり、他家受粉の最たるもので、自分の花粉をとても嫌がり、自分の花粉では種をつけないようにしてしまいます。この性質は成熟して開花した菜の花に起こり、幼いつぼみのときには自分の花粉を判断する力はありません。
 従って、最初に開花した花の花粉をまだ幼いつぼみを開いて、そこに付けやると、雄蕊の花粉も雌蕊の胚も同じ遺伝子のクローンの種をつくってしまいます。菜の花というのは、数百の花が咲きますが、そのつぼみをひとつ一つ開いて自分の花粉をつけてやります。そうしてできた種を蒔いて咲いた菜の花は、同じところに植えたカブはみんな同じ遺伝子を持っているので絶対に種をつけません。しかし、同じところに植えたほかのアブラナ科の花粉では種を付けます。こうしてカブとほかのアブラナ科の植物のF1の種が採れるようになったわけです。

   

 ■日本はアブラナ科野菜のF1のメッカになる■

 この技術によって、日本はアブラナ科野菜のF1のメッカになりました。欧米ではあまりアブラナ科の野菜はありませんが、キャベツの仲間だけは別で、日本はキャベツのF1をつくってアメリカに盛んに輸出するようになります。アメリカではとくにブロッコリーが人気なので、日本から入ってきたF1の種が市場を席巻することになりました。アメリカにもキャベツやブロッコリーの固定種を採っていた種屋もあり、その存続が危ぶまれていましたが、そのとき、ブロッコリー・スプラウトの機能性が注目を集め、一気にブームが起こりました。
 うちはカブを専門に種屋をやっていて、F1の時代になったことがわかったので、父は私を大手の種苗会社の研修生に送り込みました。一粒から数千粒に増やすまでは種屋の技術者がやりますが、数千粒では販売するには足りませんので、種をもっと採らなければなりません。数千粒をハウスの中に蒔いて、同じ遺伝子だから同じように成長して同じようにつぼみができて咲いた花に、パートの人たちが朝から晩まで小さなつぼみを開けて花粉をつけていく作業をしていました。これを延々と続けているのです。
 そうして片親をつくっていって、もう片方の親と畑で掛け合わせるのです。その作業を目の当たりにして、小さな種屋が良い個体を選んで種をつくって売っていく時代は終わったと思いました。大手種苗会社が人件費をかけて、一粒を無限に増殖する。大きな投資をして、片親ずつ産み出さなければやっていけない時代だと、父にF1はもうあきらめた方がいいと言いました。
 そうした人間によるつぼみ受粉という作業も30年前までの話で、今ではそんな作業はしていないそうです。つぼみが開きだしたら、ハウスの中に二酸化炭素を注入します。通常の大気中の二酸化炭素の100倍くらいに濃くなると、菜の花の生理が狂って自家受粉でも種を付けるようになります。そこで、ミツバチを放ちます。ミツバチは体液にヘモグロビンを含まないので、酸欠を起こさずに花の蜜を集めることができ、ついでに花粉をつけてくれます。二酸化炭素とミツバチによって、人件費をかけずに膨大な数の種を得るわけです。
 以上のように、「うち」では、固定種について説明するときには、今皆さんが普通に栽培されているF1がどういうものかと説明することにしています。そうしないと、固定種がいかに自然なものかがわかりません。あるとき、東京炭酸ガス株式会社というところから電話がありました。そこで聞かされたのが次のようなことでした。ここ十数年種苗会社から多くの炭酸ガスの注文があるのですが、納入するたびに何に使われるのか聞くのですが、どこも教えてくれなかったそうです。野口さんのブログでそれが初めてわかったということでした。そのとき聞いたところでは、多い会社では年間40トンもの液化炭酸ガスを使っているということでした。三月半ばから四月いっぱい、菜の花が咲いている間だけの短い期間にそれだけの量が使われているのです。

   

 ■F1技術の歴史。 それは除雄からはじまる■

 生物で最初にF1をつくったのは日本で、1914年に蚕でおこなわれました。日本と中国の蚕を交尾させて一代雑種をつくり、「日支○号」と名付けました。この蚕は非常によく卵を産んで、収量も上がったので、中国との絹の輸出競争に勝って、日本は世界の絹市場を席巻することになりました。次に、先ほどの埼玉農業試験場のナスから始まり、人工的に雄を取り除いてかけ合わせをつくる時代になりました。
 その後、アメリカで雄性不稔という突然変異が見つかり、それを利用してF1をつくる時代になっていきます。従来、日本独特の技術でつくられてきたキャベツなども、今では雄性不稔を使ってつくられるようになりました。今ではF1は海外採種が当たり前になっていて、海外の種苗会社に採種を委託する時代になってきたからです。海外の種苗会社は、日本独自の方法である自家不和合性の利用の技術はありませんから、アメリカで使われている雄性不稔による方法でしか採種は受け入れてもらえません。従って、すべては雄性不稔の利用に変わっていきました。
 雄性不稔とはmale sterilityで、直訳すると「不毛な雄」という意味で、子孫をつくる能力がないということです。植物では雄性不稔と言いますが、動物では男性に原因のある不妊症、要するに無精子症です。人間でも数万人に一人くらいは無精子症の男性が産まれるそうですが、植物でもたまに雄蕊のないもの、あるいは雄蕊があっても葯や花粉がない個体があります。そもそもF1というのは、除雄をおこなうことから始まりますので、最初から雄蕊がない植物が見つかると、F1をつくるのに非常に都合がいい。それを母親にして他の品種の花粉をつけて、F1をつくります。最初に雄性不稔が見つかったのはタマネギで、次にトウモロコシ、ニンジンなどで見つかり、どんどん雄性不稔が発見されて、今ではダイコンやハクサイまで雄性不稔のF1に変わってきました。
 かつてうちの隣町にいたニンジン農家が栽培していたのは、当時、日本で最も栽培されていた向陽二号というF1品種でした。あるとき、美味しいと噂のあったうちの在来種のニンジンをつくってみたいと少し買っていきました。出来具合を聞いたら、在来種のニンジンは野ネズミが食べるので困ると言います。F1品種を同じ畑でつくっても、野ネズミは絶対食べないから助かると言っていました。

■雄蕊を持たないクローンのマイクロ・タマネギ■

 雄性不稔が最初に見つかったのは赤タマネギで、カリフォルニアの農業試験場で、1925年、ジョーンズという育種技師が発見しました。通常、健康なタマネギのネギ坊主には300〜1,000程度の小さな花がついていますが、それには10くらいの小さな花しかついていませんでした。その小さな花には、雄蕊がない代わりに、小さな小さなタマネギがついていました。花粉がないために子孫がつくれないので、この個体は種をつくるのではなくて、クローンのマイクロ・タマネギをつけていたのです。日本の伝統野菜の一種であるヤグラネギも雄蕊を持たず、同じように小さなネギをつけて、成熟するとそれが落ちて、地面に根付いて増えていきますが、同じようなものがタマネギでも見つかったわけです。
 そのマイクロ・タマネギを育ててみると、ちゃんとしたタマネギになって、そのクローンの子孫も同じような雄蕊のない個体に育ちました。雌蕊しかないそれに他の雄蕊のある健康なタマネギの花粉を付けていって、何年もいろいろな品種で試したところ、雄蕊がない雄性不稔の性質は母親からすべての子に伝わるということがわかりました。やがて、これはミトコンドリアの異常によるものだと判明します。そうした形質を戻し交配によって、他のタマネギに取り込んでいきます。
 赤タマネギは甘くて柔らかいのですが、水分が多いためあまり貯蔵ができないので、六月に収穫して一か月くらいしか販売できません。そこで、固く締まっているため貯蔵性のよい黄タマネギに赤タマネギの性質を取り込みました。雄性不稔の赤タマネギに黄タマネギの花粉をつけると、生まれた子供の細胞核の遺伝子は赤と黄とが50%ずつになります。これは、母親譲りの雄蕊のないタマネギです。これを育ててまた黄タマネギの花粉をつけると、赤25%:黄75%の孫が生まれ、これも祖母譲りの雄蕊のないタマネギです。こういう戻し交配を繰り返して、数世代後に雄蕊のない母親役の黄タマネギが完成し、F1の種が採られて販売されていくわけです。
 ミツヒカリというイネの品種は、雄性不稔を使ったF1です。イネの研究でわかってきたことですが、ミトコンドリア遺伝子は小さな遺伝子ですが、その中の一つの遺伝子が傷つくと、ミトコンドリアの膜構造にたんぱく質の一種が蓄積してしまいます。ミトコンドリアは、生物の細胞内で生命エネルギーを生み出す、いわば発電機にたとえられますが、このたんぱく質が蓄積すると、その機能が阻害されます。そうしたミトコンドリア遺伝子の異常は、すべての子に受け継がれていきます。
 今栽培されている青首ダイコンは、雄性不稔のものですので食べ残した葉の根元を畑に植えると、雄蕊のない花が咲くはずです。そのように、子孫がつくれない作物を世界中の人間が食べるようになっているのです。もっとも、日本の種屋にとっては、雄性不稔を使うことで、種を盗まれてもそれから種は採れないので心配せずにすみます。ただし、外国から毎年買わなければなりません。

■いま日本は雄蕊のない野菜を食べている■

キャベツやハクサイでは、雄性不稔株が見つかっていませんので、ダイコンの雄性不稔を取り込むことをします。まず、雄蕊のないダイコンをハウス内に蒔きます。別に、自家不和合性で使っていたときの父親と母親のキャベツを育てます。これらは自分の花粉では種をつけませんが、雄蕊も雌蕊もあります。そうしたキャベツやハクサイの母親役を雄性不稔のダイコンと同じハウスに蒔きます。つぼみが付いたら炭酸ガスを放出しミツバチの巣箱を置きます。成熟したダイコンは子孫がつくりたいのですが雄蕊がないので、ミツバチがつけてくれるなくキャベツや白菜の花粉で雑種の子供をつくります。ダイコンとハクサイはゲノムが異なるので、自然界では交配することがありませんが、大気の一〇〇倍の濃度の炭酸ガスによって生理が狂わされ、受精してしまいます。こうして、ダイコンとハクサイの形質を半分ずつ持つ子ができます。同様にして、数世代繰り返していくと、雄蕊のないキャベツが完成します。ハウス内にこの種を蒔いて、自家不和合性でつくったときの父親役を一緒に蒔いてやります。そうして、かつて日本の専売特許であった自家不和合性によるF1は、どんどん雄性不稔のものに取って代わられていきます。今、日本で食べられているアブラナ科野菜は、ほとんどが雄蕊のない植物です。
 種苗会社のカタログには、次のような宣伝文句が並びます。「従来品種を生育が揃うように改良した新品種。一斉に収穫して、効率よく畑を使いたい農家の方にお勧めです」。より揃いが良くて、一斉収穫できて、効率よく畑を使いたくない農家はおりませんから、すべてこうした品種に変わってしまいそうです。しかし、いまだに従来品種とこうした雄性不稔による改良F1品種とが並べてカタログに掲載されています。あるとき、種苗会社の人に聞いたところ、雄性不稔にすると種が小さくなってしまうのだと言います。そもそも菜種は直径二_以下の小さなものですが、雄性不稔にするとより小さくなってしまいます。そうすると農家の人は、これでも大きなキャベツやハクサイに育つのか不安に感じて、「昔通りの種をよこせ」という声が絶えないのだそうです。
 雄性不稔を使う技術はアメリカで生まれたものですが、2014年に、アメリカの有機農家が、初めて自分のホームページで雄性不稔について言及していました。日本では、戻し交配によって何回も掛け合わせを行い、何年もかけて雄性不稔を取り込んできましたが、現在のアメリカでは細胞融合を利用しています。薬剤を使って二種類の植物の細胞壁を溶かします。雄性不稔のラディッシュの裸の細胞から核を取り除いて、ブロッコリーの核をラディッシュの細胞の中に入れます。こうして、核の遺伝子はブロッコリーですが、まわりにあるミトコンドリアは異常なラディッシュのものということになります。これを培養してクローンを増やしていけばいいわけです。
 この事実をホームページに掲載した有機農家は、やがてアメリカもEUのように、国が認めた種しか買えなくなるのではないかと危惧しています。EUでは、域内での関税を撤廃し公平な流通を前提にしているため、農作物の規格を揃えなければなりません。したがって種苗会社は、国に認められた種しか売ることができなくなりました。アメリカでも同じような規制がおこなわれると、大企業が種の流通を独占するのではないかと危惧されています。そこでこの有機農家は、まだ流通している種を集めて、個人で保存しています。現在彼は、集めた種をもう一度蒔いて、雄蕊のないものはすべて除き、雄蕊のある、種が採れる種だけを集めているのです。

 

■子孫を残せない植物を食べるということ■

 現代の品種改良における一番のポイントは、雄性不稔の個体を見つけることです。たった一つの個体が見つかれば、すべての子孫に波及することができます。すでに、種のカタログに、「雄性不稔を利用した」新品種とその優位が謳われる時代になったのです。たとえば日本の砂糖の二割は、サトウキビからつくられ、八割はテンサイからつくられます。北海道のテンサイはすべて雄性不稔のたった一つの個体がもとになっています。テンサイは小型の両性花をつけるので、いちいちピンセットを使って母株の雄蕊を取り除いて自家受粉を防いだうえで、交配をおこなう必要がありましたが、現在、世界的に普及しているF1品種はすべて、細胞質雄性不稔株を母株にしてつくられたものです。実用に供された細胞質雄性不稔は、世界中のどれもがアメリカの育種家オーウェンが50年以上前に、ある在来種の中から発見した、たった一株の変異株に由来しているのです。子孫がつくれないたった一株が見つかったテンサイが、世界中の人間の砂糖の原料になっているという時代になっているのです。先ほどのミツヒカリも同様です。
 世界中の人間が、そうした子孫を残せない植物ばかりを食べる時代になっています。
 ミトコンドリアが異常になった植物を食べて、動物のミトコンドリアが異常になることはないのでしょうか。時事通信は2007年、アメリカで起こったミツバチの異常を報道しました。日本では、ミツバチの事件は、農薬ネオニコチノイドに起因するということで決着させました。NHKの番組をみると、巣箱の周りにハチの死骸が山のようにある様子が映されていました。
 しかし、アメリカで起こったのは、前日まで巣箱に大量にいた蜜蜂が、女王蜂と数匹の蜂を残して忽然と消えてしまい、死骸もなかったという事件でした。死骸がなかったことから、この現象は最初「イナイイナイ病」と呼ばれました。養蜂家の間では、1960年代にも発生したことがあるといわれている現象でした。
 アメリカの養蜂家であり生物学者のオリバー氏は次のように言っています。「1960年代には、カビによる病気あるいはダニなどによる病気だという説があった。この蜂群崩壊症候群と似た現象は、約20年ごとに繰り返し起きている」と。ネオニコチノイドという農薬は1990年代に住友化学が発明した農薬ですので、1960年代の減少に影響を与えるはずはありません。日本のミツバチ研究者は、日本ではアメリカのようなミツバチの大量失踪事件は起きていないと言っています。アメリカでは2006年、2007年と二年連続で大量失踪事件が発生し、それぞれ全米の240万箱の巣箱の三割、80万箱からミツバチが消えました。このとき何が起こっていたのでしょうか。
 ミツバチの巣箱の中の働き蜂のほとんどは雌です。わずかにいる雄は、冬が近づくとすべて雌に巣箱から追い出されて、野外で死にます。冬の間の巣箱は、女王蜂と働き蜂という雌だけのコロニーとなり、春から夏に貯めた蜜を食べて暮らしています。春になって花が咲き始めると、働き蜂の斥候が外に出て蜜を集め、ロイヤルゼリーに加工して女王蜂に与えます。そうして二年目の女王蜂が産むのが、次の世代の女王蜂と雄蜂になりますが、産んだ卵が有精卵だと雌になり、無精卵が雄になります。有精卵の子が母親からだけ引き継ぐのはミトコンドリア遺伝子だけですが、核の遺伝子も女王蜂の遺伝子だけを受け継いた場合に、雄になるのです。
 したがって20年に一度発生する現象だということは、10世代目の女王蜂が生んだ雄が無精子症になったのではないか。無精子症の子供が生まれると、そのコロニーに未来はありません。未来がない巣箱に愛想をつかして、数万の働き蜂が虚空に飛び去ってしまったというのが、この現象ではないか。これが私の仮説です。

 (のぐち いさお)

<質 疑>

 ―― 在来種・固定種の現状はどうなっているのでしょうか。

 

野口 今、どんどん種が消えています。日本の固定種は、ダイコン、ハクサイ、カブなどアブラナ科の秋野菜が中心です。固定種の種を採ろうとすると、虫が花粉を運んでくるような二`b以内の畑では同じアブラナ科の種は採れません。従って、そういう種は日本中の種屋から集めてくることになります。そうした種が毎年消えていっています。去年と同じようにFAXで注文してもなかなか来ないから連絡してみると、採種農家がやめちゃったのでもうありません、ということもあります。儲からないから、もう全部F1にしたという種屋もいます。消えてしまう前に、家庭菜園でもいいから、種採りをして、何とか種の命をつないでほしいと思います。
やがて、世界中が雄性不稔のF1や遺伝子組み換えの種ばかりになったとき、例えば、そんなものばかり食べているから子供が産まれなくなってきたのだと証明されたとき、昔の種がどこかに残っていれば、それが人類を救うかもしれません。とにかく、自家採種する人を一人でも多く増やしたい。ですから、うちから種を買ったら、同じ種はもう買わないで、そこの畑にあった野菜に育ててほしいと思います。

 ―― 生物多様性の観点からも、自家採種は続けていかなければならないと思っています。しかし、種苗法が変わっていくなかで、どうしていけばいいのでしょうか。

 

野口 今回、種苗法が変わっても、自家採種について、これまでと変わるところはありません。種苗法の運用が変わるだけです。種苗法というのはもともと、種苗登録した品種の権利を守るもので、これまで農家が自家採種することについては見逃されてきたと言えます。しかし、世界の中での知的所有権の位置づけに呼応していこうというのが、今回の種苗法の改正です。種苗登録されたものの登録期間中の自家採種が違法なのは当たり前です。種苗登録された品種は新品種であり、その新品種をつくった人間の権利は認めなくてなりません。
 一方、うちで売っている固定種・在来種のほとんどは誰も権利を持っていない、昔からのものです。そうしたものは、今後も自由に自家採種できます。また、種苗法改正以前に問題になった種子法廃止ですが、種子法というのは行政法であって、都道府県の職員に命じる法律です。都道府県が米、麦、大豆について責任をもって種を採って普及しなさいというものです。戦後の食糧難の時代には、食管法とともに必要な法律でした。実は、種子法が廃止されて一番困るのは国からの補助金がなくなる都道府県の職員とその指示で種籾を採っているJAです。したがって新品種を開発した都道府県の職員にも、種苗法を厳密に運用してこれまでの補助金に代わる新品種開発の利益を得られるようにしようというのが、今回の制度改正だと思います。

 ―― 原爆イネのように、東日本大震災の原発事故による放射線の影響は、種にはどのように出てくるのですか。

 

野口 当時、お客さんから多くの問合せがありました。しかし、種の放射性物質濃度を調べるには、1kgもの種を潰して機械にかけなければわかりません。1kgというのは、うちが仕入れている一品種ごとでは何年分かの量です。個人ではとても調べられません。

 ―― モンサント社はインドにおいて自社の種子を供給することで、まさに一国の食料供給を握ってしまいました。そうしたことに歯止めをかけるにはどうしたらいいのでしょうか。

 

野口 種は買うものだと考えていると、キャベツだと思っていたものがいつの間にか、ダイコンのミトコンドリアを食べていることになっている。そういう世の中のなっているのです。昭和30年以前に戻って、もう一度、自分で種を採るようにすれば、種代なんか一切かからない。自家採種する人を増やせばいいわけです。政治家にGMやF1の危険性を理解させるのは難しいと思います。いかに世界経済を大きくしてたくさんのお金を稼ぐというのが今の国の方針ですから、お金がかからないという農業を勧めても国は動いてくれません。
 ちなみに、モンサント社の種は、今、世界中で嫌われています。1,000haあるいは2,000ha規模の遺伝子組み換えトウモロコシの採種畑が、一年で一挙に大麻に変わったという話を聞きます。要するに、儲かるのならば何でもつくるということのようです。遺伝子組み換えはもう消えつつあり、ゲノム編集がそれに代わると思います。

 ―― 永久凍土で種子を保存することをおこなっているそうですが、どのような効果があるのですか。

 

野口 ノルウェーでおこなわれている取り組みです。種を零下18℃〜20℃で保存すると、1,000年でも2,000年でも生き残るという研究報告があります。つくばのジーンバンクが研究して、学術誌に発表しました。ジーンバンクでは1980年代から種子の保存を始めていますが、種苗会社や都道府県に原種として提供しています。もっとも、低温で保存していた種を一度に外に出すと、水分が膨張して種が死んでしまうので、少しずつ温度を上げて常温に戻します。ある種苗会社が在来種の種を十何種類提供してもらったのですが、芽が出たのは一つだけだったといってました。30年でほとんど死んでいたわけです。
 本来、種は命を保存しているものですが、代謝を止められた命は低温でもそう長く生き続けられるものではないようです。最近は、まだ生きている種を種苗会社に提供して更新してもらうということをやっているようです。日本国内であれば、畑に種を蒔いて更新することができますが、ノルウェーのような氷河では無理でしょう。欧米ではあまり食べないダイコンだけでも500〜600種類の種を集めているそうです。しかし、一品種当たりの保存量はせいぜい500粒です。うちで売っている一袋300円と同じ粒数です。それくらいの種を保存していても、更新していくことはできないでしょう。壮大な無駄遣いに終わるのではないかと思っています。

 ―― 農家の多くはF1品種をつくることに慣れてしまって、自家採種の方法を知らない農家も多いと思います。自家採種に関する人づくりについて、お考えはありますか。

 

野口 講演先で懇親会があったとき、採種の相談を受けることがあります。たくさん種が取れたので、買ってくれないかという話もよくあります。そこで、畑を見せてもらって、他のものと交雑しないようにきちんと管理されていれば、種を買い上げることがあります。うちでは、種採りのためのいろいろな指導書を売っていますので、そうしたもので勉強してもらいます。日本中で、少しずつですが、そういう人に育ってもらって、そういう人から種を買っています。そういう人からは、ほかの種屋から仕入れるときの五倍の値段で買わせてもらっています。ちゃんと種を採ってくれる人は経済的にも報われないといけないと思っています。そういう人たちを増やすことが、私の生きがいです。
 東京でサミットがあったときに、フランス大統領が、日本の野菜を食べて感動し、ベルサイユ宮殿の菜園で日本の野菜をつくることになりました。京都JAがその種をフランスに送ったようですが、その種はすべてF1でした。今、流通している京野菜のほとんどはF1です。伝統野菜ブームの裏では、そういうことが起きています。「桂瓜」の産地は桂離宮周辺の農村ですが、この土地でつくって売れば、どんな種だろうと伝統の京野菜になってしまう。その種が「F1東京大白瓜」であることは、納入している東京の種屋しか知らないということになっています。菅原文太さんが山梨県で有機農業をしていて、彼のファンである仲買の人ができたものすべて取り扱っていました。あるとき、私の本を読んで固定種に変えたら、できるものの形が揃いません。昔の八百屋さんは対面で量り売りしていたから、少々形は不ぞろいでもよかったのですが、今ではそんな野菜の買い手はいません。結局、市場に出すものはF1でつくり、せっかく自家採種して栽培した固定種は家の周りの畑で自家用につくることにしました。何年かかるか知りませんが、そういう話が少しずつ広がれば、八百屋やスーパーがわざわざ畑に出向いて、高くても売ってくれという時代が必ずくるでしょう。

 ―― 野口さんのところでは、自家採種もやっているのですか。

 

野口 ほとんどの種は全国の種屋から仕入れています。うちで取引している種屋は十数社ありますが、それぞれの地域の種屋のリーダーです。その地方の種は、その地方の種屋から仕入れています。

(2018.8.31)

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