野口種苗ロゴ

野口勲の足跡/"Isao Noguchi's Works"
虫プロ時代@/「鉄腕アトムクラブ」から

昭和40(1965)年4月から、池袋西口に移転した虫プロ出版部=『鉄腕アトムクラブ』編集部=に通った。
通ったと言っても、ほとんど富士見台の手塚邸泊まりだから、原稿ができたときに持っていくくらい。
最初に頂いたのが単行本化の際「盗まれたアトムの巻」と名付けられた連載の第一回分2C×1C3ページ。
「ロボットを大人にしちゃったよ」と驚いたが、18才という設定のアトムが着ているのが、20才の僕が
着ていた成城大の制服と同じ紺の背広上下だったから、出版部内で一時「アトムちゃん」と呼ばれた。

原稿を受け取ると、池袋の出版部に持っていき、フキダシの文字をトレペに写して、写植屋を呼んで渡す。
欄外のハシラの文字も同時に手渡し、アトムのロゴ位置を指定して、上がってきた写植を貼って印刷所に。
色ページをオフセット印刷会社に渡すと、手塚邸に戻って、活版一色部分の原稿取りのためまた泊り込み。

この『鉄腕アトムクラブ』6月号で、オフセット印刷というものを初体験した。高校、大学の学生新聞は、
活版印刷だったから活字も号数指定だったが、写植の級数指定にもすぐ慣れた。オフセットは川口印刷KK。
活版は天下の大日本印刷KKだ。郵送でファンの子供に送る小さな雑誌だが、虫プロに期待してたのだろう。


手塚先生が多忙の時は、話を聞いてコメントを代筆することもあった。下はヨーロッパ旅行出発前、
写真を撮っている時間もないため、古い写真ででっち上げた『鉄腕アトムクラブ』1965年10月号。


漫画専門誌への移行が噂されるようになり「特集/きみもまんが家になれる」は、ほぼ一人で編集した。


1979年『月刊COMIC AGAIN』の5月号から『鉄腕アトムクラブ』と『COM』の思い出話を連載。


この続きは、次の章「虫プロ時代A/「COM」から」に収めます。


〒357-0067 埼玉県飯能市小瀬戸192-1 野口のタネ/野口種苗研究所 野口 勲
Tel.042-972-2478 Fax.042-972-7701  E-mail:tanet@noguchiseed.com


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